2009年11月2日月曜日

甲州道中の旅(徒歩編・その11) 横山宿~高尾


浅川を渡り、いよいよ八王子の中心部にやってきました。大和田橋を直進すると国道20号ですが、甲州道中はここで右に曲がり北大通りを進んでいきます。

ちょっとわかりにくいですが、この斜めの道が甲州道中です。

右側の道路はこの先の追分までのバイパスになっている道で、車で八王子駅前を通らないで抜けるときに便利です。

八王子・横山宿の手前に江戸から十二里の一里塚跡の碑がありました。比較的新しい碑です。ここは竹の鼻一里塚と呼ばれるそうです。

一里塚に隣接する永福稲荷神社には八王子出身の江戸時代の力士、八光山の像が建っています。身長191cmの巨体は迫力です。

他にも神社には芭蕉の碑や、庚申塔などが建っていました。残念ながら石仏の一つが台座から倒されたまま放置されていました。わざわざ台座を作って祀っているだけに残念です。

甲州道中はこの永福稲荷神社の先で不自然に左折し、国道20号にぶつかったところで再び右折。大きな枡形を形成しています。

国道20号はこの枡形による無駄な右左折を避けるために、大田和橋を直進し、この枡形の出口につながるようになったのでしょう。

この枡形の先が八王子の横山宿・八日市宿です。

相模との国境であるこの地は、かつては武蔵七党・横山党の本拠地として、戦国時代は北条氏による関東防衛の拠点として、古代から現代まで途切れることなく整備されてきました。

八王子城落城後は、徳川幕府により現在の八王子駅周辺が整備され、八王子十五宿と呼ばれる甲州道中最大の宿場町が作られました。

残念ながら、これだけの大規模を誇った宿場町ですが、横山宿に関する碑や案内板はなく、八王子市夢美術館の前に新しく作られた八日市宿の碑があるのみです。

なまじ大きな街だけに、開発が続き、常に新しいもので置き換えられていったのでしょう。

八王子に入ってから長い直線道路の終わりは、今も追分の名の残る交差点。その名の通り、甲州道中と陣馬街道の追分です。

追分交差点には、追分道標が残されています。

案内板によると、八王子空襲で4つに折れ、ばらばらになったものを復元したもので、二段目と四段目が当時のままということでした。

左:甲州道中高尾山道
右:あんげ道(案下道:陣馬街道)

と読むことが出来ます。

ようこそ了法寺へ・・・

右側の女性が弁天様で、下の白いヘビが宇賀神。左川の二人がお稲荷さんのキツネのようです。

追分から高尾駅までは4kmにわたるイチョウ並木道です。八王子市天然記念物です。この季節イチョウ並木を歩くと・・・大変臭います・・・足下に注意です。

そして、ちょうどこの辺りの地名は千人町。徳川家康が旧武田氏の旧臣を中心とした家臣を江戸防衛のために八王子に住まわせたのが始まりで、千人同心と呼びます。徳川幕府でも特に忠誠心の強い集団で、関ヶ原に参戦したのをはじめ、幕末には長州征伐などに出征するなど最後まで幕府を守るという目的のために戦った集団です。

そして再び現れるのが、不自然な曲がり角。明らかに枡形です。

ここにも追分道標が建っていて、

右:高尾山道
左:真覚寺道

となっています。右に行く道は緩やかに国道20号に戻ってきます。左に行くと今はそれっぽい道が残っていませんが、南に800mほど行くと今でも真覚寺というお寺があります。

高尾駅までの間に、もう一度国道と旧道が分かれるところがあり、旧道はこのように裏道の割に街道らしさを残す道筋です。

地図を見てもなぜこの道がこの部分だけ湾曲しているのか見当がつきませんでした。ただし現在の川筋と平行しているので、もともと浅川に沿って作られていたのかもしれません。

何気ない路地ですが、この小道はかつて甲州道中から八王子城へと向かっていた道の跡だそうです。

そして、今日の目的地、JR高尾駅に到着しました。特徴のある駅舎で有名です。

駅の中のパン屋さんで旅の疲れを癒し、帰りは高尾駅から電車で一気に帰宅。現代の旅人は楽なのです。

次はいよいよ小仏峠越え・・・かな?

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