2009年11月1日日曜日

甲州道中の旅(徒歩編・その10) 日野宿~浅川


半年ぶりの甲州道中の旅は日野宿から。今日は日野駅から八王子横山宿・八日市宿を通り、高尾駅までを歩く予定です。

写真は日野駅に入っているたい焼き屋さんですが、前回に続き今日もたい焼きにありつくことは出来ませんでした。残念。

現在の甲州街道は日野駅とほぼ直角に交わりまっすぐ進んでいきますが、江戸時代の甲州道中は日野駅を越えると左に曲がり写真の坂(大坂)を登っていきます。

地形図を見ると、この先の甲州街道はこのあたりの一番標高の高い尾根に沿って走っており、この大坂はこの尾根に上がる最短距離にあります。

現地に行ってみると分かりますが、この坂は車を通すために掘削されて緩やかになっています。それでも急な坂なので、現在の甲州街道はこの急坂を避けて大回りをして尾根に上るルートになっているのです。

大坂の途中には高幡山八十八箇所と書かれた石塔と庚申塔が3つ、それに馬頭観音が1つありました。

日野大坂上で現在の甲州街道と合流し、尾根伝いにまっすぐ進みます。数年前まで国道だった道路ですので、歩道も広く歩きやすいです。

この辺りは工業地帯。日野自動車の広大な敷地を見ながら進んだかと思うと、今度はコニカミノルタ。実は日野自動車の敷地内には上人塚と呼ばれる古い古墳と思われる塚があります。守衛に頼めば見学させてもらえるようですが、今日はそのまま通り過ぎました。またコニカミノルタの敷地内には富士塚が残っているそうです。

多摩川を越え、この辺りの尾根に上がったばかりの甲州道中は、今度は浅川を超えるために再び下っていきます。

地形図を見るともともとこの辺りは10mほどの崖であったところを、400mほど掘削して緩やかな坂にしたように見えます。写真の右側の土手が本来の地面の高さで、ここも車を通すために坂を緩やかにしたのでしょう。当然江戸時代はこの急な崖を歩いて下ったと思われます。

街道を歩いていると、ちょっとした景色を見るだけで、こういう道の歴史に想像を膨らませるといった楽しみが出来留のが面白いです。

浅川にかかる大田和橋の手前で、甲州道中はわずかの間だけ現在の国道と違う道筋を取ります。

地形図を見るだけではその理由を知ることは出来ませんが、道路を歩いた感じでは少なくとも昭和初期まではこの道が使われていたようです。

この脇道で多くの石仏・石碑を見つけました。写真の馬頭観音や水子地蔵は昭和に入ってからのもの。左から2番目の石仏は原形をとどめませんが、大事に祀られている様子を見ると歴史のあるものと考えられます。

そして浅川を渡る大和田橋に到着。これを渡ると八王子の中心部に到着です。

大和田橋の歩道には昭和20年8月の八王子空襲のときの焼夷弾の跡が17箇所残っており、2箇所は透明板で保存し、残りは赤色のタイルでその位置を示しています。残念ながら透明パネルの中に水が入ってしまっていて、中の様子はよく分かりませんでした。

甲州道中はここ大和田橋で浅川を渡り、八王子の横山宿・八日市宿へと続きます。

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