2009年11月28日土曜日

深大寺・本尊元三大師像御開帳


今日は深大寺の本尊元三大師像御開帳に行ってきました。

11月27日から12月3日までと週末が一度しかないので、混雑は必死。早めに出かけることにしました。

私たちがついたときは、まだ行列はそんなに長くはない。それでも「最後尾はこちらです」の札を持った人が立っていました。

回りはきれいな紅葉なので、行列の中、ちょうどいい時間つぶしになります。

靴を脱いで本堂にあがり、大師堂へ。堂内は撮影禁止なので写真はありません。

慈恵大師像は坐像にもかかわらず2m近い大きさ。悪魔調伏の力を持つということで、しっかりと拝んできました。

これはご本尊ではありませんが、同じく元三大師像。これは角大師の姿に化けたものです。しかし屋外にあるにしては大変保存状態がいい石仏です。意外と新しいのかもしれません。

一瞬、自宅に一つ欲しいと思ったのは気の迷いか?

今日も護摩木を奉納してきました。

「借金返済・宝くじ当選」と書かれた護摩木もありましたよ・・・

偶然蕎麦供養をやっているのを見ることが出来ました。

知らなければ秘密結社の会合かと見違える光景です。

そば守観音様に蕎麦を奉納してつつがなく蕎麦供養が執り行われました。

せっかく深大寺に来たのだし、なんじゃもんじゃの木の紅葉を撮影。見事な黄色です。

門前のおそば屋さんでお昼を食べて、来年の干支の虎の置物を買って帰りました。

紅葉と御開帳とで大混雑の深大寺でした。朱印帖を持って行けば元三大師さまの御朱印を頂けたのに・・・残念。

2009年11月21日土曜日

昭和記念公園


今日は昭和記念公園に行ってきました。

中途半端な時間に出発したので、途中立川駅で軽く腹ごしらえ。そして西立川駅から昭和記念公園に入りました。立川駅から歩くというのは考えなかった・・・

今日は見事な青空。絶好のお散歩日和です。

歩いていて気持ちいい。

右を向いても左を向いても紅葉した樹ばかりなので写真を撮る人がたくさん。

これはパンパスグラス。座っている人と比べるとその大きさが分かります。

とっても不思議な植物です。

どんど焼きの準備をしているのかと思った・・・にしては早すぎる・・・

公園内のサイクリングコース。

コース内をジョギングしている人がいるので注意が必要。

そのうちここも走ってみたい。

イチョウ並木はすでにかなりの葉が落ちていて、足を踏み出したときの感触が心地よいです。

途中でハム焼きを購入。焼きたてでおいしかったです。500円也。

こんな感じで焼いているので、注目度抜群。

人の集まるところに、きれいな紅葉あり。

そう思って間違いないです。

コンパクトデジカメだとなかなか綺麗に写真を撮れないのがちょっと残念。

日本庭園では雪吊りの準備をしていました。兼六園みたい。

もっとも立川では年に1回くらいしか雪は降りませんけど。

ちなみに、ここの池はコイがいないので、小魚やエビがたくさん住み着いていました。いいことだ(^^)

いい天気の元でノンビリと昭和記念公園を散策して、帰宅しました。

もう少し近くなら、お弁当を持って出かけるのにちょうどいいところなんですが・・・。

ちょっとした日帰り散歩と割り切ればいいのかな?

国営公園ですが、事業仕分けとかで切り捨てられると困るなぁ~

2009年11月20日金曜日

2010年手帳購入 - クオバディス・ビジネスプレステージ


長いこと悩んでいた2010年の手帳は、自作リフィルはやめてコンパクトな手帳を使うことにしました。

大いに悩んだ末に選んだのは、クオバディス・ビジネスプレステージです。バーティカルタイプの手帳であり、かつ常に携帯できる文庫本サイズというのが決め手となりました。

せっかくなので、もう少しまともなカバーのついたものを買っても良かったのですが、とりあえずは一番安いものにしました。

見開き1週間のバーティカルタイプです。

持ち歩くことを最優先にしたので、30分単位で使うには少々難がありますが、そこはうまく使いこなしていきましょう。

この手帳の問題点は、週表示が「1月1日を第1週とする」のではなくて、「最初に木曜日のある週をその年の第1週とする」と定めたISO 8601に準じた表示になっていること。

国際標準なので文句を言ってもしかたないですが、一般的に使われている週の数え方と違うので注意が必要です。私の勤めている会社も1月1日が第1週と定めています。

間違いの無いように、時間のあるときに全部書き換えておこう。

さて、文庫本サイズと言うことで、もともとついていたビニールのカバーを外して、手持ちの文庫本カバーを使ってみました。ちょっとはましになった・・・という感じかな?

さすがに小説などの文庫本と比べると薄いので、一緒に文庫本ノートを入れて見ました。大きさが微妙に違うので余り収まりが良くないです。ちょっと工夫が必要そう。

ちょうど今週から始まる手帳なので、早速予定を写して使い始めています。

2009年11月7日土曜日

キヌサヤエンドウ種まき


11月になったところで、今日はキヌサヤエンドウの種まき。

一つのポットに2粒ずつ、全部で8ポットに種まきをしました。収穫できるようになるのは来年の春です。4株もあると家族二人では食べきれないくらい収穫できるので、大変お得な野菜です。

鳥というのは目敏くて、土の中にある豆を見つけてしまうんです。発芽するまで食べられないように・・・

2009年11月2日月曜日

甲州道中の旅(徒歩編・その11) 横山宿~高尾


浅川を渡り、いよいよ八王子の中心部にやってきました。大和田橋を直進すると国道20号ですが、甲州道中はここで右に曲がり北大通りを進んでいきます。

ちょっとわかりにくいですが、この斜めの道が甲州道中です。

右側の道路はこの先の追分までのバイパスになっている道で、車で八王子駅前を通らないで抜けるときに便利です。

八王子・横山宿の手前に江戸から十二里の一里塚跡の碑がありました。比較的新しい碑です。ここは竹の鼻一里塚と呼ばれるそうです。

一里塚に隣接する永福稲荷神社には八王子出身の江戸時代の力士、八光山の像が建っています。身長191cmの巨体は迫力です。

他にも神社には芭蕉の碑や、庚申塔などが建っていました。残念ながら石仏の一つが台座から倒されたまま放置されていました。わざわざ台座を作って祀っているだけに残念です。

甲州道中はこの永福稲荷神社の先で不自然に左折し、国道20号にぶつかったところで再び右折。大きな枡形を形成しています。

国道20号はこの枡形による無駄な右左折を避けるために、大田和橋を直進し、この枡形の出口につながるようになったのでしょう。

この枡形の先が八王子の横山宿・八日市宿です。

相模との国境であるこの地は、かつては武蔵七党・横山党の本拠地として、戦国時代は北条氏による関東防衛の拠点として、古代から現代まで途切れることなく整備されてきました。

八王子城落城後は、徳川幕府により現在の八王子駅周辺が整備され、八王子十五宿と呼ばれる甲州道中最大の宿場町が作られました。

残念ながら、これだけの大規模を誇った宿場町ですが、横山宿に関する碑や案内板はなく、八王子市夢美術館の前に新しく作られた八日市宿の碑があるのみです。

なまじ大きな街だけに、開発が続き、常に新しいもので置き換えられていったのでしょう。

八王子に入ってから長い直線道路の終わりは、今も追分の名の残る交差点。その名の通り、甲州道中と陣馬街道の追分です。

追分交差点には、追分道標が残されています。

案内板によると、八王子空襲で4つに折れ、ばらばらになったものを復元したもので、二段目と四段目が当時のままということでした。

左:甲州道中高尾山道
右:あんげ道(案下道:陣馬街道)

と読むことが出来ます。

ようこそ了法寺へ・・・

右側の女性が弁天様で、下の白いヘビが宇賀神。左川の二人がお稲荷さんのキツネのようです。

追分から高尾駅までは4kmにわたるイチョウ並木道です。八王子市天然記念物です。この季節イチョウ並木を歩くと・・・大変臭います・・・足下に注意です。

そして、ちょうどこの辺りの地名は千人町。徳川家康が旧武田氏の旧臣を中心とした家臣を江戸防衛のために八王子に住まわせたのが始まりで、千人同心と呼びます。徳川幕府でも特に忠誠心の強い集団で、関ヶ原に参戦したのをはじめ、幕末には長州征伐などに出征するなど最後まで幕府を守るという目的のために戦った集団です。

そして再び現れるのが、不自然な曲がり角。明らかに枡形です。

ここにも追分道標が建っていて、

右:高尾山道
左:真覚寺道

となっています。右に行く道は緩やかに国道20号に戻ってきます。左に行くと今はそれっぽい道が残っていませんが、南に800mほど行くと今でも真覚寺というお寺があります。

高尾駅までの間に、もう一度国道と旧道が分かれるところがあり、旧道はこのように裏道の割に街道らしさを残す道筋です。

地図を見てもなぜこの道がこの部分だけ湾曲しているのか見当がつきませんでした。ただし現在の川筋と平行しているので、もともと浅川に沿って作られていたのかもしれません。

何気ない路地ですが、この小道はかつて甲州道中から八王子城へと向かっていた道の跡だそうです。

そして、今日の目的地、JR高尾駅に到着しました。特徴のある駅舎で有名です。

駅の中のパン屋さんで旅の疲れを癒し、帰りは高尾駅から電車で一気に帰宅。現代の旅人は楽なのです。

次はいよいよ小仏峠越え・・・かな?

2009年11月1日日曜日

甲州道中の旅(徒歩編・その10) 日野宿~浅川


半年ぶりの甲州道中の旅は日野宿から。今日は日野駅から八王子横山宿・八日市宿を通り、高尾駅までを歩く予定です。

写真は日野駅に入っているたい焼き屋さんですが、前回に続き今日もたい焼きにありつくことは出来ませんでした。残念。

現在の甲州街道は日野駅とほぼ直角に交わりまっすぐ進んでいきますが、江戸時代の甲州道中は日野駅を越えると左に曲がり写真の坂(大坂)を登っていきます。

地形図を見ると、この先の甲州街道はこのあたりの一番標高の高い尾根に沿って走っており、この大坂はこの尾根に上がる最短距離にあります。

現地に行ってみると分かりますが、この坂は車を通すために掘削されて緩やかになっています。それでも急な坂なので、現在の甲州街道はこの急坂を避けて大回りをして尾根に上るルートになっているのです。

大坂の途中には高幡山八十八箇所と書かれた石塔と庚申塔が3つ、それに馬頭観音が1つありました。

日野大坂上で現在の甲州街道と合流し、尾根伝いにまっすぐ進みます。数年前まで国道だった道路ですので、歩道も広く歩きやすいです。

この辺りは工業地帯。日野自動車の広大な敷地を見ながら進んだかと思うと、今度はコニカミノルタ。実は日野自動車の敷地内には上人塚と呼ばれる古い古墳と思われる塚があります。守衛に頼めば見学させてもらえるようですが、今日はそのまま通り過ぎました。またコニカミノルタの敷地内には富士塚が残っているそうです。

多摩川を越え、この辺りの尾根に上がったばかりの甲州道中は、今度は浅川を超えるために再び下っていきます。

地形図を見るともともとこの辺りは10mほどの崖であったところを、400mほど掘削して緩やかな坂にしたように見えます。写真の右側の土手が本来の地面の高さで、ここも車を通すために坂を緩やかにしたのでしょう。当然江戸時代はこの急な崖を歩いて下ったと思われます。

街道を歩いていると、ちょっとした景色を見るだけで、こういう道の歴史に想像を膨らませるといった楽しみが出来留のが面白いです。

浅川にかかる大田和橋の手前で、甲州道中はわずかの間だけ現在の国道と違う道筋を取ります。

地形図を見るだけではその理由を知ることは出来ませんが、道路を歩いた感じでは少なくとも昭和初期まではこの道が使われていたようです。

この脇道で多くの石仏・石碑を見つけました。写真の馬頭観音や水子地蔵は昭和に入ってからのもの。左から2番目の石仏は原形をとどめませんが、大事に祀られている様子を見ると歴史のあるものと考えられます。

そして浅川を渡る大和田橋に到着。これを渡ると八王子の中心部に到着です。

大和田橋の歩道には昭和20年8月の八王子空襲のときの焼夷弾の跡が17箇所残っており、2箇所は透明板で保存し、残りは赤色のタイルでその位置を示しています。残念ながら透明パネルの中に水が入ってしまっていて、中の様子はよく分かりませんでした。

甲州道中はここ大和田橋で浅川を渡り、八王子の横山宿・八日市宿へと続きます。