2009年5月6日水曜日

甲州道中の旅(徒歩編・その8) 鎌倉街道~日野の渡し

府中宿を過ぎ現在の甲州街道と鎌倉街道の交差する辺りは本宿と呼ばれます。古い時代の鎌倉街道はハケ(府中崖線)の下を通り、この辺りに宿場があったことによるそうです。

本宿交差点の交番脇に常夜灯が残されていました。案内によると寛政4年(1792年)に作られたもの。太平洋戦争末期まで住民により毎晩火が灯されていたとのことです。
本宿の少し先に熊野神社がありました。本殿建て替えなどいろいろと工事をやっていてちょっと殺風景でした。ただしこの神社に立ち寄った目的は参拝ではなく・・・
この上円下方墳。上円下方墳は日本で5例しか見つかっていない特殊な古墳で、この武蔵府中熊野神社古墳(2003年発見)は3例目。4例目は少し離れた天文台構内古墳(2007年の発掘で上円下方墳と確認)です。古墳本体は埋め戻したのか、いつの間にか立派な復元古墳ができあがっていました。

日本に5例しかない特殊な古墳が府中と三鷹とすぐ近くに2例もあるというのは実に不思議です。府中・調布・三鷹では上部構造物のない古墳はかなりの数発見されているので、案外もっとたくさんあるかもしれません。しかし住宅密集地でもあり記録保存・埋没保存と称して多くの古墳は調査されないまま住宅が建設されてしまっています。
谷保天神の手前に常夜灯を見つけました。文久3年(1863年)に建てられた物です。残念ながら一部が失われたのか、新しいものに置き換えられていました。
そして谷保天満宮に到着。野暮の語源とも言われ、大田蜀山人に「神ならば 出雲の国に 行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん」とからかわれたりと有名な神社です。いまの地名は「やほ」ですが、昔は濁って「やぼ」と読んでいました。地元の人もわざわざ「やぼ」と読み替えるような野暮なことはしないそうです。
境内にはニワトリがたくさん。もともと祭礼用に羽を取る目的で育てていたらしいのですが、結局羽は取らず、境内で増えてしまったそうです。
現在の甲州道中は最近国道20号から都道に格下げになったこの道です。それでも蔵のある立派な屋敷がたくさんあり昔からの街道だと言うことが分かります。
矢川という小川の近くでまた古い常夜灯(元上谷保村の常夜灯)を見つけました。寛政6年(1794年)建立。
これは五智如来と呼ばれている仏様です。江戸時代に越後から移り住んできた人が郷土で信仰していた五智如来を祀ったものだと言われています。
この辺りは本当に常夜灯が多く残っています。これは元青柳村の常夜灯。寛政11年(1799年)建立。やはりここでも昭和初期までは毎晩火が灯されていたそうです。
常夜灯だけでなく多いのは馬頭観音。やはり古い街道なので馬の供養塔が多いのも分かるような気がします。
甲州道中も立川までやってきました。ここは五叉路で、左から旧国道20号(現都道256号)、新奥多摩街道、奥多摩街道、立川通りです。

甲州道中は現在の奥多摩街道を進んで、すぐに左折。いよいよ日野の渡しで多摩川を渡ります。

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