2009年5月9日土曜日

甲州道中の旅(徒歩編・その9) 日野の渡し~日野宿

日野橋交差点から現在の奥多摩街道を進み、少し進んで左折します。するとここが旧甲州街道と名前の残る道路です。ここをまっすぐ行くとハケを下り、多摩川に出ます。
多摩川の近くに日野の渡しの碑が建っていました。甲州道中はかなり長い距離を多摩川に沿って進みますが、ここで始めて川を渡ることになります。甲州道中の難所の一つです。
多摩川の土手に上がるとそこは見慣れた多摩サイでした。まさかこの辺りを歩くことになるとは。

日野の渡しは大正15年に日野橋の完成に伴い廃止されていますので、私たちは日野橋か立日橋のどちらかを渡ることになります。この日はまだ比較的新しい1988年に完成の立日橋を渡りました。都道と多摩モノレールの軌道が一体化した多摩川唯一の複合橋です。立川と日野の間にあるから立日橋なのでしょう。
立日橋を渡ると日野です。日野の由来はいくつかあるようですが、国府の狼煙台があったという伝説から飛火野が転じて火野に、そして和銅6年(713年)に日野に改められたという説が有力。日野権中納言資朝の子孫が移り住んできたという説などがありますが、資朝は佐渡に流されて処刑されているので、これは嘘っぽい気がします。

さて、日野と言えば土方歳三や井上源三郎の出身地ということで新撰組の誕生地としても知られています。この先の日野宿にはいまでも土方歳三、井上源三郎の子孫の方が住んでいます。
甲州道中が再び国道20号の旧道に(ややこしい)戻るところに、地蔵尊と馬頭観音がありました。このほかにも風化した石塔がたくさん並んでいました。この一日だけでいったい幾つの馬頭観音を見ただろうか?
そして、日野宿本陣に到着しました。この本陣の長屋門には佐藤道場があり、当時、近藤勇・土方歳三・沖田総司・井上源三郎などが稽古をしていました。まさしく新撰組発祥の地と言えます。また本陣を管理する佐藤家は土方家と縁戚で、土方歳三は若い頃はここで生活をしていました。
現在甲州道中で現存する本陣はこの日野宿本陣を含めて小原宿本陣(神奈川県相模湖町)と下花咲宿本陣(山梨県大月市)の三箇所です。江戸時代は本陣と脇本陣が並んで建っていましたが、現在は本陣のみが残っているとのことです。

明治13年には明治天皇の御幸があり、この本陣で休憩を取られています。
本陣ではボランティアの方が詳しく説明をしてくれます。土方歳三の命日が近いためか女性の見学客が多かったです。この組では男性は私一人。

写真は火災にあった後の長屋門の扉です。
戊辰戦争のときに函館で土方歳三が小姓の市村鉄之助に「日野の家族に届けて欲しい」と遺髪と写真を託したのがこの佐藤家です。約3ヶ月掛けて日野まで戻ってきた市村鉄之助をかくまったのが当主の佐藤彦五郎で、2年にわたり写真の一番奥の部屋にかくまい、新政府の探索の目に触れないようにしていたそうです。

ちなみにいま写真を撮っている部屋は土方歳三が昼寝をしたと言われる玄関の間。もっとも土方は若い頃は実家ではなくて、ほとんどこの佐藤家で暮らしていたので、どの部屋も自由に使っていたような気もします。

本陣の奥には大名が泊まる上段の間があったのですが、明治26年の火災で佐藤彦五郎の息子の家が被災したために、上段の間の部分を移築したそうです。解体するのではなく、建物をそのまま動かしたとのこと。すごい。上段の間はいまでも有山家で使われていますが未公開です。
5月9~10日はひの新選組まつり。土方歳三の140回忌ということで、大規模なパレードも行われるそうです。
日野宿近くの八坂神社です。いままで見たこと無いような神社らしくない建物。寛政12年(1800年)に建てられた本殿の覆屋がどうやらいまの建物のようです。なかに古い本殿が建っていました。もう少し神社らしい建物にしても良かったのに・・・
今日の目的地の日野駅に到着。駅っぽくない建物です。

次回はこの日の駅を出発するとして、どこまで行くか悩みます。小仏峠を越えるのはちょっと無理がありそうなので、小仏関辺りを目標にしますか。

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